ECHO FIELD History

1983

現・代表が、バンドをやりながら、サウンドエンジニアとして活動を始める。
日夜バンドのレコーディングやライブハウスでのPAに明け暮れる。翌年末エンジニアに専念。

1989

西友・道の尾店“道の尾ホール”の音響チーフに就任、音響部を担当。長崎オランダ村のショー関係PA業務を担当。

1990

6月、エコーフィールドを法人化。(有)エコーフィールド設立。

1992

この年オープンしたハウステンボスのショー関係PA部門を担当。約2年間従事。

1993

2月、レコーディングスタジオを長崎市元船町にオープン。

1994

三重県志摩スペイン村にショー関係進行スタッフを派遣。オープンから約2年間従事。


3月、長崎市公会堂おいて開催された“普賢岳チャリティコンサート”のライブ録音を担当。泉谷しげる氏を旗ふり役に集結したアーテイストは、吉田拓郎、小田和正、忌野清志郎、南こうせつ、さだまさし、大友康平、浜田省吾、山下久美子、横道坊主、極めつけに井上陽水(敬称略)というそうそうたるメンバー。

1998

長崎市茂里町にオープンしたキャパ2000名の公共ホール“ブリックホール”の落成記念事業“市民創作企画”公募において最優秀賞を獲得。その作品“長崎時空漂流記”では、脚本、演出、音楽、録音、PAを担当。約200名の出演者、約4000名の観客を動員。

2000

10月、テレビ長崎(KTN)の番組“てれびみゅーで”のテーマソングを制作。
ストリートデュオ“海人”を起用。
アレンジ、演奏、レコーディングを行う。
※海人は後に“フリーウェイ・ハイハイ”と改名し上京、メジャーからデビュー。

2002

ブリックホールの“市民参加舞台”企画公募において再び最優秀賞を獲得。その作品“四郎外伝~それぞれのパライソ~”、脚本、演出、音楽、録音、PAを担当。約120名の出演者、約3000名の観客動員。


10月、テレビ長崎の新番組“できたてごぱん”のテーマソングを制作。作詞・作曲・編曲・演奏・録音を担当。

2003

アナログMTRとミキシングボードに別れを告げ、デジタルコンソール (YAMAHA
O2R96)、DAW (Digital Performer)、HDR (Mackie SDR24/96)といったフルデジタルシステムにリニューアル。


9月、ボーカルトレーニングコースを新設。


11月、思案橋にオープンした、ライブハウス“Tin Pan Alley”における、PAのシステム設計及び、施工、セットアップを担当。オープニングゲストは、あの、“吉田美奈子”。緊張のオペレート。

2005

10月、林 立夫様※1エコーフィールドスタジオにて2曲をレコーディング翌日、ライブオペレートをも担当。高校時代から憧れの方だったため感無量の一時だった。

10月、作曲を担当して2年目になるサセボよさこいのチーム、“Be-Flat”が、総合三位に輝く。
11月、林立夫様に続き、“鈴木 茂”様※2のライブオペレートを担当。再び至福の時を堪能。

※1:日本を代表するドラマーの一人。“ Tin Pan Alley ”のメンバーとして初期の荒井由美(ユーミン)を始め、松田聖子その他、参加レコーディング総数は7000曲以上に上る。

※2:あの、“はっぴいえんど”のギタリストにして、日本を代表するギタリストの一人。林  立夫氏とは、“ Tin Pan Alley ”での盟友であり、共演多数。

2006

10月、佐世保よさこい祭りにおいて、レコーディングを担当した長崎大学“突風”が、最優秀賞を獲得。

2007

4月、テレビ長崎の『エコ・キャンペーンソング』“さま・サンバ” 制作。作詞、作曲、編曲、録音を担当。

2010

4月、代表松尾が活水女子大学音楽学部非常勤講師を拝命。

2013

コントロールルームの機材を変更増強。Mac G5+MOTU Digital Performer-PCIeシステムから、iMacとPro Toolsを中心とするNative環境に完全移行。

2016

ねんりんピック長崎 応援ソング製作。作詞、作曲、編曲、録音を担当。